浜松郊外ランチ 回転寿司に残されたイキの美学「スシロー」 [食べ物]
この土曜日、わけあって父親と2人休みの昼飯を一緒に喰うことになりました。
実家では母親が旅行中、こっちも妻子が里帰り中。かつ、休みが父親の仕事(といっても2日出勤2日休みのアルバイトなのだが)とぴったりあったという程度のわけなのですが。
普段大した孝行も出来ないでいるので、うなぎでも「喰いに行こうか」と持ちかけると、墓参りをして、帰りに回転寿司に行こうと言う。
確かにもう何年もお盆に墓参りなぞしていない。こっちの目的は親孝行だ、「よし、行きましょう!」
ということで、この夏一番かと思われる猛暑の中、真昼の墓参りをすまし、父親お気に入りの「スシロー」へ。
はずかしながら、回転寿司なるもの、ホンの数回行ったきりで、こっちはシステムすらあやふや。
父親はやれ、「お茶はこうやって汲め。小さじ3杯だ。」だの、「皿の取り方」だの、「醤油の小皿はない」だの、いちいちを説明するわけなのですが、悔しいかな、こっちはサッパリわからないものだから、言いなりです。
テープル席に案内されたため、回転ルートの後ろの方に位置し、「いいネタが取られてしまう」と不満げな父親。入店時に店員と何やら交渉していたのは席の話のようです。(恥ずかしいが、昔からのこと。)
味の方は、スーパーで売っているパックの寿司と比べるとオイシイのではないでしょうか?イヤイヤ最近のスーパーの寿司は昔とくらべるとずいぶん美味くなっているからどうかな。まあ、とにかく私レベルの舌には十分でした。ハイ。
で、何かっていうと、回転寿司って、とにかく安い!当り前か。
喰いたいだけ喰ったって、たかが知れてますね。
この絶対の安心感をバックに、「まあ、好きなだけ喰え。そら、どんどん喰え。」と父親は息子に勧めるワケです。
ビジュアル的には十分に老けたのですが、父親にとっては、うな重を2人前平らげていた頃の息子に映るのでしょうか?(今思えば何たる親不孝。家族4人で出かけて5人前のオーダーは、よく店員さんに不思議がられました。)
いうても、37歳。情けないことに、そうは喰えません。10皿ちょっとも食べたら、もう腹いっぱい。63歳の父親の方が食べたのではないでしょうか?(改めて考えると、ありゃ、食い過ぎだ。)
「いやー、オヤジもうイイワ、行こう。」
払うというのを、がんと聞かず、「まあ2人で3000円ていど。父親の財布もそんなには痛まなかろう。」ということで素直に御馳走になりました。
滞留時間、30分未満。
大した話をするわけでもなく、「鯵がうまいぞ!」とか「茶碗蒸し喰え」とかの会話でしたが、父親が息子に色々と指南することで、会話が成立するという短い時間は、それはそれで良かったのではないかと思われます。
これだけ情報が高度化した社会では、父親のメンツ(あるのかは?)が立ちながら、子との関係が成立するという「場」って、正直あまりありませんよね。
30年来行きつけのうなぎやではこうはいくまい。
恐らくは、雑誌なんかをそれぞれペラペラめくりながら、「どうだ会社は?」「うーん、なかなか厳しいよ」みたいな通り一遍の会話であったろうことは想像にかたくないわけです。
そういう意味でも、回転寿司「スシロー」は、少なくともわれわれ親子にとっては貴重な「場」であったわけです。
「鮨=高級」の図式は当然のようになっていますが、何でも昔は屋台で供されるファーストフードのようなものだった時代があるそうですね。急いでパパッっと平らげ、サッと店を出る。 イキですねぇ。
マクドナルドがネットカフェ化し、滞留時間が長時間化する一方、回転寿司は原点回帰してファーストフード化するというのも面白く思います。
まあ、もっとも、今回の場合は私の無知ゆえ、父親がイキがることが出来ているワケですが。。。
こんなことでも、孝行できたような気がする、もうすぐ38歳の夏なのでした。








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